【その1】
肥前浜宿 酒蔵通り
【その2】
川の町、塩田
【その3】
佐賀城下を東へ
【その4】
牛津 赤煉瓦の町
【その5】
対馬藩領田代宿
【その6】
小田の分かれ道
【その7】
神幸の里、神埼
【その8】
波の音する北方

塩田というと、日本全国わりととどこにでもありそうな地名だが、佐賀県の南西部にある嬉野市塩田(しおた)町は、長崎街道の25ある宿場の一つとして、古くから栄えた所だ。また、有明海へと繋がる塩田川の水運は、ここを物資の集散地である川港としても大きく発展させてきた。つまり塩田はかつて、水陸交通の要だった町なのだ。
 意外なところでは、平安時代中期の女流歌人として知られる和泉式部が、幼少期をこの地で過ごしたという伝説があり、それにちなんだ逸話や地名がいまも地元に残っている。
 さらに、地名といえば塩田川の語源は、奈良時代に編纂された「肥前風土記」にある「潮高満(しおたかみつ)川」から来ているそうで、これはいかにも有明海の潮の干満の大きさを思わせる名前ではないか。
 ことほどさように、遡れば遡るほど塩田の歴史はいぶし銀の輝きを増して行く。どうやらここは、けっこう奥が深そうだ。もっとも、いまは田園に囲まれたフツーの静かな町なのだが…。

 長崎街道の塩田宿──。晩春のある日、その賑わいの余韻を訪ねて町を歩いてみた。

地図を見るだけでも、塩田が交通の要衝なのが分かる。

「塩田宿」の入口を表す碑が設置されていた。

驚くほどきれいに整備された塩田宿の家並み。電線・電柱が地中化され、人も車も通らないときはまるで映画のセットのようにも見える。

街道沿いの家々の漆喰壁はよく修復され、白さが目にまぶしいほど。

人も車も見当たらない、白昼の塩田宿。時間はひどくゆっくりと動いている。

伝統のディテールを、町のそこここに見ることが出来る。
のどかな田園と、緑あふれる周辺の山々──。国道498号の乾いたアスファルト道路に車を走らせ、やって来た塩田は、そんな美しい自然に囲まれた静かな田舎町だった。町の中央を、塩田川という有明海に注ぐ川が流れている。
 土地の地理も分からないまま、とりあえず市庁舎へ行き、受付で「塩田宿の町並みを歩いてみたいのですが」と訊いてみる。
 そこでの職員さんの対応が、じつに良かった。地図を持ってきて、宿場の位置を懇切丁寧に説明。おまけに、こちらが礼をいって庁舎を出ようとすると、玄関まで追い掛けてきて、最寄りの無料駐車場の場所を教えてくれる親切ぶり。
 職務だから当たり前とはいえ、嬉しくなるほどのサービじゃないか。町の好感度は、これで大幅アップ。ま、相手が可愛い女性職員でなかったのが、やや心残りだが…。

 ほお、佐賀県にもこんな美しい近世の町並みが、まだ残っていたのか──。恐らくこの景観を前にした多くの人が、こんな感嘆の声を漏らすのではなかろうか。旧長崎街道沿いに続く塩田宿の佇まいは、それほどのインパクトを持っていた。
 だいいち、整備が素晴らしい。
 通りに並ぶ家々はどれも見事に修復がなされ、醜悪な看板などは見当たらない。おまけに、バリアフリーを意識したのか、段差のない歩道と車道。景観の最大の敵、電線・電柱もきれいさっぱり取り払われており、まさにパーフェクトだ。
 この家並み──。さまざまな困難もあったのだろうが、先人から受け継いだ大事な遺産を、ここまで磨き上げた町の人たちの心意気が、なんだか伝わってくるような風景ではないか。これが、こうした景観の保全に無頓着な佐賀県人に、自信と自覚を与えるモデルケースとなってくれればいいのだが…。
 それにしても、いい仕事してますね〜!

町を代表する建物の一つが西岡家。19世紀中頃のもので、塩田川の水運で繁栄した回船問屋だったという商家だ。現在は国指定重要文化財。

西岡家に隣接する杉光家は国指定有形登録文化財。やはりかつては回船問屋だったという巨大な商家だが、現在は陶器店になっている。

塩田宿が「塩田津」とも呼ばれるのは、ここが長崎街道の宿場であり、同時に津(港)としての性格を併せ持っていたため。街道沿いにひときわシンボリックに肩を並べる二つの商家、西岡家と杉光家の偉容は、いまもかつての回船問屋の繁栄ぶりを偲ばせるに十分だ。
 こうした家々の裏に回れば、旧塩田川に向けて設けられた見事な石垣や石段を見ることが出来る。石段は「タナジ」と呼ばれるもので、きっとその昔は日ごとここを、荷揚げ荷卸しをする男たちが足繁く上り下りしていたに違いない。
 有田へ搬入する天草陶石や、有田から搬出される陶磁器、そして蓮池藩の藩蔵から大坂へと運ばれる米など、有明海へと繋がる塩田川の塩田津は、まさにこの地域の水上運輸の中心基地として、大車輪の活躍をしていたのだろう。そんな華々しい歴史を持つ町なのだ、塩田は。
 いまは人影もなく、ガランとした旧街道──。
 だが、その道の真ん中に立つだけで何となく、宿場としてまた川港として賑わった、当時の町のさざめきが聞こえるようでもある…。

 ここでしばし暑さを避けるため、町の一角にある「レトロ館」という展示施設に入る。古い建物を改築したものらしいが、露出した梁や古風な照明器具など、内部はなかなか好い雰囲気。
 一階の土産物売場には、「逸口香」や「金花糖」といったこの地の特産菓子などが並んでいた。二、三階は古民具のコレクションが展示されており、マニアが涎を垂らしそうな陶磁器や人形などがズラリ。古いガラス容器の色の美しさには、思わずうなってしまった。
 なんだかこの町は、どこまでも懐かしい空気が流れているなあ。
 喉が渇いたので一階に降り、奥の喫茶コーナーでオレンジジュースを注文。甘酸っぱい液体で喉を潤していると、カウンターの中のラジカセからは、若き日の西郷輝彦の歌謡曲が…。うーん、どこまでもやってくれるなあ。
この町屈指の豪商だった西岡家は、間口6間(約10.8m)、奥行き9間半(約17.1m)という大店。

「逸口香」はこの町の特産品の一つ。中が空洞というユニークなお菓子だ。

レトロ館に展示された古いガラス容器。色彩や形の美しさに思わず見入る。

旧塩田川に向けて造られた見事な石垣や石段。かつてはここで日ごと、荷揚げや荷卸しをする男たちの声が、辺りに響いていたのだろう…。

街道脇の参道の奥に、本応寺の山門が小さく見える。引き込まれるような空間に、思わず靴の先が向いてしまう。

初期には、塩田から嬉野に向かうルートが本道だった長崎街道。
 だが塩田川の度重なる氾濫により、江戸時代中期に北方から塚崎へと迂回する新ルートが開通すると、塩田宿の重要性は徐々に減少して行く。廃藩置県後は、宿場から川港へと比重を移し繁栄を続けた塩田の町も、やがて鉄道の開通や河川改修により、ついに主役の座を降りることになる──。

 
どこにもありそうな栄枯盛衰の物語だが、こうして豪奢な面影を残す町並みだけが残った。
 いま塩田津は「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、かつての輝きを取り戻しつつある。町並みの“復活プロジェクト”というわけだ。あまり観光地っぽくなって欲しくはないが、これが地域起こしに繋がり、いつか通りに昔のような賑わいが戻ることを祈りたい。

 
街道の脇に細く静かな小径があり、その先に美しい形の山門が見えた。引き込まれるような佇まいに、思わず足が門の方に向いていた。
 その本応寺は天正14年(1586)に創建されたという寺で、この町を代表する古刹の一つだ。天正14年といえば、織田信長がよく似た名前の本能寺で死んで、4年後のことになる。
 近付いてみると彫刻の施された見事な山門の両脇に、どこかとぼけた風情の石造りの仁王像が立っていた。二体ともずんぐりした体形で、全体に何とも言えない愛敬がある。そのせいか厳めしい山門の周りには、どこか少しだけ柔らかな空気が流れているような気がした。
 現在は保育園を兼ねている本応寺だが、きっとこの仁王像、園児たちに愛されているんじゃないのかな。何となくそう確信した。


[文と写真:城島敏明]
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どこかユーモラスな石造りの仁王像。精緻で厳格な雰囲気の山門とは好対照だ。

本応寺は天正14年(1586)に創建されたという古刹。現在は保育園を兼ねている。

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