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●佐賀平野が暑い盛りを迎える、七月下旬に行われる「小城祇園夏まつり(山挽祇園)」は、七百年近い歴史を誇る小城の伝統行事です。その起源は、鎌倉時代末期に関東から下向して小城の町を造った千葉胤貞が、軍事訓練を兼ねて、祇園会の祭に山挽き神事を行ったことによるもの。
この祭は千葉氏滅亡後も、小城藩主となった鍋島家によって受け継がれ、今日に伝わっています。藩政期の盛況ぶりは「見事見るには博多の祇園、人間見るには小城の祇園」とうたわれたほどでした。
現在、山挽の山は上町・中町・下町の計三つですが、江戸時代には二つ、千葉氏の時代には一つだったようです。
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●なかでも特筆すべきは、下町の山。竹と藁と縄と葛で造られたこの山鉾は、余所に類例のないユニークなもので、千葉胤貞の時代を彷彿とさせる、素朴な力強さに溢れています。
人形のテーマは「石田三成と徳川家康」。山鉾には疫病退散の大団扇も飾られており、祭の別名を「団扇祇園」というのは、ここから来たものです。
「エーンエンエンヤァッサー、やあこの山は大変じゃ」で始まる子供たちの掛け声に合わせて、鳴り響く大太鼓はまさに勇壮そのもの。千葉氏以来の祭の形態を、もっとも良く伝えた山鉾だといえましょう。
製作工程は、[下町の山鉾が出来るまで]をクリックしてご覧下さい。
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●鮮やかな朱色がひときわ目立つ上町の山車。屋根付き二階建て造りで、上の人形は「牛若丸と弁慶」。下では子供たちが、リズミカルに締太鼓を叩いている。 |
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●中町の山車は上町と同じデザインで、人形の題材は「武田信玄と上杉謙信」。トントントンという上品な締太鼓の音が、祭情緒を盛り上げる。 |
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●上町・中町・下町の順で次々と、山は正午前に須賀神社にゴールイン。同時に、打ち上げ花火がドーン! |
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●祇園祭は須賀神社の神事ですが、同神社はもともと祇園社でした。明治期の廃仏毀釈により現在の姿になったものの、町の人々は今でも親愛の情を込めて、ここを“お祇園さん”と呼びます。
山挽きの前夜祭では、須賀神社の石段や町の通りを、行灯や提灯の明かりがほのかに照らし出し、夏の夜のひとときを幻想的に演出。町のそこここに太鼓や鉦の音が響き、金魚すくいやたこ焼きなどの夜店は、浴衣を着た老若男女で賑わいます。
祭の夜はこうして更け、翌日の山挽き神事が終わると、いよいよ小京都・小城に夏の本番が訪れるのです。
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●須賀神社のある山は、通称「千葉城」。ここは、かつて千葉胤貞が築いた山城があったところで、別名「牛頭(ごず)城」とも呼ばれました。その一角に胤貞が、京都から分祀勧請した祇園社を建てたのが、現在の須賀神社の始まりです。
その後、戦乱の時代を経て、天然の要害であったはずの千葉城は千葉氏とともに崩壊。いまでは山上に遺された神社のみが、降るような蝉時雨の中、小城の家並みを静かに見下ろしています。
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