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小城の歴史ものがたり[中世]


千葉氏の盛衰[中世]
1192 (建久3) 源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開く
岩蔵寺・見瀧寺が再興される
1232 (貞永1) 貞永式目(関東御成敗式目)が制定される
1246 (寛元4) 宋の禅僧、蘭渓道隆が来朝。円通寺にも滞在する
1247 (宝治1) 円通寺の若訥宏弁、蘭渓道隆の京都・鎌倉行に従う
1253 (建長5) 日蓮、鎌倉で法華宗を布教
1274 (文永11) 蒙古軍が襲来(文永の役)
千葉頼胤ら、肥前の諸氏もこれに応戦。このときの傷が元で翌年、頼胤は小城で死去
1278 (弘安1) 若訥宏弁、円通寺を再興する
1281 (弘安4) 蒙古軍が再襲来(弘安の役)
千葉宗胤ら、これに応戦して撃退。宗胤は九州千葉氏の祖となる
1294 (永仁2) 円通寺の持国天・多聞天立像ができる
1313 (正和2) 下総の中山法華経寺より、布教のため日厳が小城に下向
1316 (正和5) 千葉胤貞、下総より小城に下向。千葉城を居城とし祇園社を勧請、また北浦に妙見社を創建
胤貞はこの頃、祇園川沿いに小城の町をつくる。また、山挽祇園を始める
1317 (文保1) 千葉胤貞、松尾山光勝寺を建立する。開山は日祐上人
1333 (正慶2) 鎌倉幕府が滅亡
1334 (建武1) 建武の中興
1336 (建武3) 南北朝の対立
足利尊氏、多々良浜の戦いで菊池武敏を破る。千葉胤貞は足利軍に参加、敗れた阿蘇惟直が天山で自害
1338 (暦応1) 足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に幕府を開く
1350 (貞和6) 円通寺、日本三大興国禅寺の一つとなる
1359 (延文4) 筑後川の戦いで懐良親王・菊池武光ら、少弐頼尚を破る。千葉胤泰は少弐軍について戦う
1371 (応安4) 今川了俊、九州探題となる
1378 (永和4) 足利義満が室町に花の御所を造り、幕府を移す
1392 (明徳3) 南北朝の合一
1396 (応永3) 渋川満頼、九州探題となる
1397 (応永4) 足利義満、鹿苑寺金閣を造る
1433 (永享5) 中山法華経寺より、布教強化のため日親が小城に下向
1462 (寛正3) 千葉元胤、日親を京都に護送。また、京より観世太夫を呼び猿楽を催すなど、この頃に千葉氏の最盛期を迎える
1467 (応仁1) 応仁の乱
1469 (文明1) 千葉胤朝と胤将の内紛による、土一揆合戦がおこる
1478 (文明10) 大内政弘が肥前に勢力を伸ばし、少弐氏と対立する
1486 (文明18) 千葉氏が分裂し、西千葉(晴気城)と東千葉(千葉城)が対立する
1489 (延徳1) 足利義政、慈照寺銀閣を造る
1497 (明応6) 大内義興が少弐政資・高経父子を滅ぼし、千葉興常(東千葉)を肥前守護代にする
1507 (永正4) 大内氏と少弐氏が和解するが、この後も両氏を後ろ盾にした東西千葉家の抗争が続く
1530 (享禄3) 田手畷の戦いで、大内方の杉興運と少弐方の千葉胤勝、龍造寺家兼らが激突。鍋島清久・清房父子らの活躍で少弐方が勝利する
1541 (天文10) 千葉家の内紛に乗じた有馬氏の侵攻に対抗し、少弐・千葉・龍造寺、三氏の提携が成立。鍋島彦法師丸(後の直茂)が、千葉胤連の養子となる
1543 (天文12) ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が伝来
1545 (天文14) 龍造寺家兼、千葉城の馬場頼周を討つ。この戦いで千葉城は崩壊か
1547 (天文16) 大内義隆、龍造寺胤栄に肥前代官を命じる。千葉氏はしだいに、龍造寺氏の配下へと組み入れられて行く
1549 (天文18) ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝える
1551 (天文20) 鍋島彦法師丸、千葉家を辞す
1560 (永禄3) 桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を破る
1563 (永禄6) 丹坂峠の戦いで、龍造寺隆信の軍が有馬・波多・後藤勢を破る
1570 (元亀1) 今山合戦において、龍造寺隆信の籠もる佐嘉城を包囲した大友軍を、鍋島信生(直茂)が破る
1573 (天正1) 織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡