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小城の歴史ものがたり[近世]
小城藩の城下町[近世]
1582 (天正10) 本能寺の変により、織田信長が自害
1584 (天正12) 沖田畷の戦いで、龍造寺隆信が戦死
1586 (天正14) 羽柴秀吉、太政大臣となり豊臣姓を賜る
1590 (天正18) 龍造寺政家が隠居、鍋島直茂が龍造寺領の国務を司る
1600 (慶長5) 関ヶ原の戦い
1603 (慶長8) 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
1607 (慶長12) 龍造寺高房の死により、鍋島氏の佐賀藩が誕生
この頃にかけて、佐賀鍋島家により医王山三岳寺が再興される。中興開山は閑室元佶
1615 (慶長20) 大坂夏の陣で豊臣家が滅亡
(元和1) 幕府が武家諸法度を制定
1617 (元和3) 松尾山光勝寺(日億上人)、後水尾天皇の護国号の勅額と永代聖人号の綸旨を受ける
鍋島三平(元茂)、祖父直茂より小城に知行を受け、小城藩の基礎がつくられる
1627 (寛永4) 佐賀藩主・鍋島勝茂、清水山見瀧寺を建立
1637 (寛永14) 島原の乱が勃発。鍋島元茂、佐賀藩の副大将として出陣する
この頃にかけて、祇園川から南に上町・中町・下町が成立する
1641 (寛永18) オランダ商館を長崎出島に移し、鎖国体制が完成する
1645 (正保2) 鍋島直能、柳生宗矩より「玉成集」を受ける
1654 (承応3) 明の黄檗山萬福寺より、隠元禅師が来朝
鍋島元茂、隠元禅師と書簡を交わす
1656 (明暦2) 鍋島直能、桜にちなみ鯖岡の名を桜岡に改称する
1657 (明暦3) 徳川光圀、「大日本史」の編纂を開始
1658 (万治1) 鍋島直能、桜岡に屋敷の造営を始める
1666 (寛文6) 鍋島直能、桜岡にさらに桜を植樹
1675 (延宝3) 鍋島直能、後西院ほか公卿18人から、岡花(桜岡の桜花)という題で詠んだ和歌を贈られる
1678 (延宝6) 鍋島直能、佐賀城西之丸から桜岡の屋敷に入る。翌年、家督を嫡子の元武に譲る
1682 (天和2) 鍋島元武が桜岡の屋敷に入り、これ以後、小城藩邸が確立する
1683 (天和3) 佐賀本藩と三支藩(小城・蓮池・鹿島)の不和が落着、「三家格式」ができる
1684 (貞享1) 桜岡の南に自楽園が造園される
1687 (貞享4) 生類憐みの令
この頃、鍋島元武と徳川光圀との親交が続く
1690 (元禄3) 鷺ノ原に祥光山星巌寺が完成する。開山は潮音道海
1707 (宝永4) 鍋島元武、遠州浜松に国替えの沙汰があるも取り止めになる
1716 (享保1) 徳川吉宗が将軍となり、享保の改革が始まる
1732 (享保17) 享保の飢饉
1774 (安永3) 鍋島直愈、有栖川宮織仁親王の御馳走役を命じられる。この頃、藩財政が逼迫する
1784 (天明4) 鍋島直愈、「文武稽古所」(後の藩校興譲館)を創設
1789 (寛政1) 鍋島直愈、元茂を国武明神、直能を矛治明神として祀り、「国武社」(後の岡山神社)と称す
1808 (文化5) 長崎でフェートン号事件。佐賀藩が処罰を受ける
1816 (文化13) この頃、小城の山挽祇園がおおいに賑わう
1821 (文政4) 伊能忠敬による「大日本沿海與地全図」が完成
1837 (天保8) 大塩平八郎の乱
1849 (嘉永2) 佐賀藩で日本初の種痘。小城藩でも、安政6年(1859)よりほぼ毎年行われる
1852 (嘉永5) 鍋島直尭が大旦那となり、祥光山星巌寺の楼門(県指定重要文化財)を建造する
1853 (嘉永6) ペリーが浦賀に来航
プチャーチンが長崎に来航。小城藩、長崎港警備にあたる
1858 (安政5) 日米修好通商条約調印
1860 (万延1) 日米修好通商条約批准書交換のため、アメリカ軍艦ポーハタン号で遣米使節が出発。小城藩士、宮崎元立・綾部新五郎が随行する
桜田門外の変
1863 (文久3) 薩英戦争おこる
1864 (元治1) 幕府による第一次長州征伐
小城藩内での、漢方医学から西洋医学への切り換えを通達
1866 (慶応2) 小城藩、英国船ドルフィン号を購入し「大木丸」と命名
1867 (慶応3) 徳川慶喜、朝廷に大政を奉還