![沃野の夜明け[古代]](top-tit1.gif)
◆縄文時代の終わり頃、渡来人により佐賀平野にもたらされた農耕文化は、先住民である縄文人にも受け入れられ、両者の融合による新しい弥生文化が生まれました。肥沃な小城の地には多くの人が住み着き、古墳時代を迎えて数多くの古墳が造られました。
やがて日本が律令国家になると、小城にも条里制が施行され、仏教文化の花が開きます。8世紀初めに記された肥前風土記には、小城の地名も書かれており、ここが古くから政治・文化的に開けた土地だったことが分かります。 |
![千葉氏の盛衰[中世]](top-tit2.gif)
◆下総(現千葉県)の有力御家人だった千葉氏が、源頼朝から肥前国小城郡晴気荘の地頭職を任じられてから数代の後、千葉宗胤が小城の地に下向。宗胤の子・胤貞は千葉城に居を定め、京や千葉をモデルとした本格的な町づくりを行います。小城はやがて千葉氏の隆盛と共に栄え、肥前第一の都市として賑わいました。
千葉氏はまた、下総から日蓮宗を導入する一方で、古くからあった天台宗や禅宗の寺々をも保護、小城における仏教文化の礎を築きました。これらの古寺は現在も、市の貴重な文化財となっています。 |
![小城藩の城下町[近世]](top-tit3.gif)
◆佐賀藩の祖・鍋島直茂が元和3年(1617)、孫の元茂に隠居領だった所領を与え小城藩が誕生します。元茂は、祇園社(現須賀神社)の前から南北に伸びる上町・中町・下町を新たに築くなど、小城の町づくりに着手。二代藩主・直能は桜岡(現小城公園)に桜を植え屋敷を造り、三代藩主・元武がそこに常住するようになって、小城藩邸が確立しました。
藩邸を中核とした城下町は徐々に形を整え、そこでは武家を中心とした黄檗宗の禅や有楽流茶道、観世流能などから、町民主体の祇園会や種々の祭まで、今日につながる豊かな文化が開花しました。 |
![新しい都市へ[近・現代]](top-tit4.gif)
◆明治新政府の下で小城藩は版籍を奉還し、激動の時代へと船出しました。佐賀の乱を始めとする政治的騒乱などを経て、小城は郡政の中心地として発展。その中からは政治家の松田正久、書家の中林梧竹、科学者の中野初子など、著名な人物を輩出したほか、後に代表的な地場産業となる、小城羊羹も生まれています。
昭和7年の町村合併による町制を経た小城は、平成17年3月に三日月・牛津・芦刈の各町と合併。未来に向けて、新しい小城市が誕生しました。
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