【梧竹観音堂】(ごちくかんのんどう)
長く東京・銀座に住んだ後、80歳を過ぎ小城に帰郷した梧竹が、最後に選んだ場所が三日月村。梧竹観音堂は、小城が生んだこの偉才が晩年を過ごした建物で、三日月堂とも呼ばれています。大正2年(1913)、87才で「梧竹村荘」で没した彼の葬儀は、自らが建立した観音堂で行われました。
 この建物は昭和20年の台風で惜しくも倒壊しましたが、現在は昭和32年に縮小して再建されたものが残っています。
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