【龍造寺氏】
(りゅうぞうじし
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肥前の守護・少弐氏の被官だった龍造寺氏は、享禄3年(1530)周防の大内氏の肥前侵攻を、龍造寺家兼らが田手畷で破り、家中で頭角を表わします。その後、少弐家重臣の馬場頼周により一族滅亡の危機に瀕するものの、還俗した龍造寺胤信(後の隆信)が家督を継ぎます。
勇猛な武将だった龍造寺隆信は、徐々に勢力を拡大。少弐氏を滅亡させるとともに、元亀元年(1570)今山の合戦で大友氏の包囲軍を破り、やがて大友・島津と並ぶ九州の有力大名となりました。天正12年(1584)、隆信が沖田畷で島津軍に討たれた後は龍造寺氏の勢いも衰え、家臣の鍋島直茂に肥前の領国経営を譲ることになります。
写真は、佐賀市中の館町にある隆信の袍衣塚(えなつか)。
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