【山挽祇園】(やまひきぎおん)
南北朝期の千葉胤貞のときに始まったと伝えられる小城の山挽祇園は、鍋島家による藩政時代に入っても引き継がれました。
 現在では三台の山が挽かれますが、これは明治以降になってからのこと。江戸時代には二台の山だったようで、形も今よりはかなり大きかったようです。山に乗るのは武士で、挽くのは近郷の農民たちでした。「見事みるには博多の祇園、人間みるには小城の祇園」とうたわれたほど、見物の人手が多かったと伝えられています。
 山は竹、かずら、組縄、わらを束ねて作られており、今日では下町のものがこの形を伝えています。他に類例を見ないこのユニークな山は、ふだんでも小城市立歴史資料館で見ることが出来ます。
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