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長崎と小倉との距離は約230km。街道には27の宿があり、そのうち約半数の13宿が現在の佐賀県にあった。
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◆重要路だった長崎街道
鎖国政策をとっていた江戸時代の日本、その唯一の開港地が天領の長崎でした。幕府の長崎奉行がこの地を直接支配し、出島を通してオランダや中国との交易を盛んに行いました。いわば当時の長崎は、日本が西洋やアジアに向けて開いた、ただ一つの窓だったわけです。
そのため長崎に向かう街道は、九州でも最重要ルートの一つとして位置付けられ、本陣・茶屋・旅籠などが整備されて、諸藩の大名の参勤交代をはじめ各階層の人々の往来に利用されました。出島のオランダ商館長も、ここを通り江戸参府に出向いて行きました。むろんその中には、あのケンペルやシーボルトも…。
豊前(現福岡県)小倉から筑前六宿を経て肥前佐賀藩領を通り、天領の日見・長崎に至る長崎街道(長崎路)は、そんな歴史の道なのです。 |
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長崎街道の塩田宿の町並み。みやげ物屋には「逸口香」や「金花糖」が並んでいる。
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◆もたらされた砂糖
長崎街道のもう一つの顔は、交易による輸出入品の運送路だったこと。オランダや中国からの様々な文物が、長崎からこの路を通って国内各地に運ばれて行き、日本からもまた金・銀や陶磁器などが長崎へと運ばれて行きました。
そんな輸入品の中でも、生糸や薬種と並んで中核をなしていたのが砂糖でした。当時の重要な交易品だった砂糖は、長崎街道を通って全国各地に向け送られて行ったのです。そのためこの街道のことを、別名「シュガーロード」と呼ぶ人もいます。 では、九州北部を横断するシュガーロードが、この周辺地域にもたらしたものとは何だったのか。
それは、現在も各地に深く根付いたお菓子の文化でした。長崎名物の「カステラ」や「一○香(いっこっこう)」、博多の「鶏卵素麺」に「ひよ子」などの饅頭、そして間に挟まれた佐賀では──。そう、実は佐賀こそは“菓子王国”と呼ばれるほどの、甘い物の宝庫だったのです。 |
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佐賀の伝統菓子。左から砂糖菓子の「金花糖」、ポルトガル伝来の「丸ぼうろ」、中が空洞の「逸口香」。
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◆菓子王国・佐賀の開花
佐賀のお菓子で代表的なものを上げると、「丸ぼうろ」や「逸口香(いっこっこう)」に「飴形(あめがた)」「金花糖」、そして何といっても「小城羊羹」。その他にも新旧さまざまな銘菓が、県内各地で味を競い合っています。こうしたお菓子の文化を育んだ土壌からは、森永製菓の森永太一郎や江崎グリコの江崎利一といった、大手菓子メーカーの創業者も生まれました。
シュガーロードが播いた種は、佐賀の各地に根を張り花を咲かせ、多くの甘い果実を実らせたといえそうです。
16世紀後半に長崎が開港されて以来、本格的な砂糖の消費時代をむかえた日本。長崎街道がその周辺にもたらした砂糖が、どのような経路で流通し、新しい食文化を生み出したかを想像すると、そこにいくつもの歴史ロマンが見えてくるような気がしますね。白い輝きに魅せられた商人たちの情熱や、菓子作りに賭けた職人たちの様々な創意工夫…。
佐賀の地から小城羊羹が誕生した背景には、こうした時代の推移や地理的な要因、そして甘味への人間の飽くなき欲求があったことを、忘れてはならないでしょう。 |
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