日本一の羊羹のまち・小城 小城羊羹の歴史
羊羹店巡りロードマップ
小城羊羹の特色
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1.はじまりは羊のスープ 2.シュガーロードと“菓子王国”佐賀
4.商標になった「小城羊羹」 5.“日本一の羊羹の町”ここにあり!
3.小城羊羹の先駆者、森永惣吉
小城羊羹は全国に知られた銘菓であり、小城を代表する地場産業でもある。

羊羹好きな佐賀市民
 
総務省統計局の家計調査(平成13〜15年平均)によると、全国の都道府県庁所在地で、1世帯当たりの羊羹の購入金額が日本一多いのは佐賀市。その額は全国平均の倍以上で、千葉市や東京都に1馬身差をつけてのトップは、まさに“菓子王国”の面目躍如といったところです。
 そんな佐賀市民に愛されているのが、小城を代表する銘菓・小城羊羹。つまり、日本一羊羹の好きな市民の裏には、日本一の羊羹の町の存在があったというわけですね。
 その小城は、佐賀市のすぐ北西部に位置する静かな城下町。平成17年に、牛津・三日月・芦刈の3町と合併して小城市になりましたが、いまも歴史の面影を残す小城の町なかには、約20軒の羊羹店が軒を連ねています。そう、小城羊羹は佐賀県内はおろか九州一円や、遠く関西や関東にまでその名を知られる銘菓であり、地域を代表する地場産業なのです。では、小城羊羹はどのようにして誕生し、ここまで広く人々に愛されるようになったのか一一? その足取りをたどる旅も、そろそろ本筋に入ることにしましょう。
先駆者、森永惣吉。品質改良に打ち込み、今日の小城羊羹の礎を築いた。[写真提供:小城市立歴史資料館]

先駆者は森永惣吉
 小城羊羹が初めて生まれたのは明治初期のこと。創業者は、弘化3年(1846)小城に生まれた森永惣吉という人でした。
 父・庄介はもと小城藩の御用肴屋をつとめる富商でしたが、維新後に石炭事業に手を出して失敗し家は没落。このため惣吉は少年の頃から人力車を曳くなどして家計を助けたといい、懸命の努力の結果、ようやく家業の肴屋・会席業の再興を果たしました。
 その惣吉が羊羹の製造を手掛けるようになったきっかけは、店の客へのサービスに羊羹を煉って出したこと。これが意外な好評を得たため、明治5〜8年頃には本格的に家業として、羊羹製造に乗り出したといわれています。またこれには、大阪の虎屋の手代から小豆の煮方の秘伝を学んだことが、羊羹造りのヒントになったという逸話も残っています。
 ちなみに当時の羊羹とは、松竹梅や鶴亀などの絵柄を彫った塗箱に流し込み、包丁で切って薄皮で包んだものでした。
小城町蛭子町にあった、かつての森永本舗。[写真提供:小城市立歴史資料館]

工夫から生まれた名声
 以後、工夫をかさねた惣吉は、長期の保存に耐え風味を失わぬ羊羹作りに打ち込みました。その苦心が報われ製品の評価を高めたのが、明治27〜28年の日清戦争のとき。軍隊の酒保(売店)で扱う甘味品として遠く大陸の戦地に送られたものの、他の菓子類が変質をきたす中、惣吉の羊羹は全く品質を損なうことがなく、これによって戦地からの注文が激増したといわれています。
 さらには、従来の紅い羊羹に加え明治31年に白羊羹を、翌32年には茶羊羹を考案。同35年に京都で開かれた全国菓子品評会に出品し、みごと入賞の栄誉に浴しています。惣吉の羊羹は、こうして全国的な名声を獲得して行きました。
 今日に至る小城羊羹の歴史には、品質改良に懸けた先駆者のこのような努力が、大きな礎としてあったわけですね。森永惣吉は、明治43年にこの世を去っています。
[資料提供:小城羊羹協同組合、村岡総本舗羊羹資料館、小城市立歴史資料館]