 |
 |
 |
村岡総本舗羊羹資料館に展示された蒸気釜。時代と共に羊羹製造も機械化されて行った。
|
|
◆羊羹産業の発展
羊羹の需要が増すにつれ、明治30年代頃から徐々に、小城にも羊羹製造を始める者が増えてきます。それらの創業者は横尾種吉、橋本庄平、柴田長三、山田亀吉、村岡安吉、篠原清次郎といった人たちでした。先駆者だった森永惣吉の活躍を受け継ぐかたちで、人々は腕を競い合い、羊羹の品質向上と販路拡張に力を尽くしました。
明治37〜38年の日露戦争では、ふたたび羊羹の需要が増大したこともあり、小城の羊羹産業はますます発展を遂げて行きます。高カロリーで美味なうえ長期保存に耐える小城羊羹は、軍需物資として重宝がられたようで、明治44年には久留米にあった陸軍師団へも納入するようになりました。
|
 |
「小城羊羹」の文字を配したレッテルが登場した。[写真提供:村岡総本舗羊羹資料館]
|
|
◆「小城羊羹」を商標に
大正5年に発行された佐賀新聞の記事によれば、同3年の小城における羊羹製造戸数はすでに29戸。生産量は27万斤(1斤=約600グラム、約162トン)、生産額は5万1千円となっています。また販路も拡大し、佐賀県内一円はもとより隣接県の長崎・福岡、さらには東京府や、遠く朝鮮・満州といった海外にまで市場を広げています。この年に勃発した第一次世界大戦による好景気もあってか、すでにこの時代の小城は、多くの製造業者で活況を呈す“羊羹の町”だったようです。
ところで、この頃になると小城以外の地で作られる羊羹との間で、商標争いなどが起きるようになりました。そこで、それまで「櫻羊羹」や「煉羊羹」などとしていた商品に地名を入れ、初めて「小城羊羹」の商標で販売する業者が現れます。それが村岡安吉でした。
村岡安吉は明治32年、数え年16歳のとき両親とともに羊羹の製造を始め、努力と商才で後の村岡総本舗の礎を築いた人物。彼が各地で羊羹を売りながら考えたことは、地名を入れた独自の商品名の必要性でした。販路が広がるにつれ、「櫻羊羹」や「煉羊羹」といった一般的な名称では、他地域の羊羹との差別化が難しくなってきたのでしょう。 |
 |
「小城羊羹」の名声を世に広めた村岡安吉。小城羊羹業界隆興の祖といわれる。[写真提供:村岡総本舗羊羹資料館]
|
|
◆業界興隆の祖、村岡安吉
そこで、それまで“小城の羊羹”と呼ばれていたところから、正式に「小城羊羹」のレッテルを貼って売るようになり、以後、これが小城で作られるほとんどの羊羹のブランド名になって行きます。いわば、名付け親だったわけですね。ちなみに、この「小城羊羹」の名はその後、昭和27年に結成された小城羊羹協同組合によって商標登録され、加盟した業者だけが今日も、それぞれ独自の技法で作り上げた「小城羊羹」を販売しています。
村岡安吉はまた、鉄道に着目し駅売りの薄利多売で売上げを伸ばしたり、いち早く機械化による大量生産方式を導入したり、さらには軍への納入に力を入れるなど、明治から大正・昭和にかけ、小城羊羹の販路の拡大とブランド名向上に大きな功績を残しました。 |
|
|